淡江中学について
百年の淡江、
牛津学堂から
淡江中学の校訓は「愛と奉仕」。台湾基督長老教会の「焼かれても滅びず」の精神を受け継いでいます。

1872
3月9日、マッカイ牧師が英国客船「海龍号」で午後3時に淡水に上陸し、淡水を台湾宣教の拠点と定める。
1882
7月26日、「理学堂大書院」が落成。オンタリオ州オックスフォード郡の人々への感謝から英語名を Oxford College(牛津学堂)とした。同年9月14日に18名の新入生で開校、台湾の新教育発祥の地となる。
1884
3月3日、淡水女学堂が開校。台湾初の女子学校で、本校女子部の始まり。
1914
3月9日、日本政府から学校設立の認可を得る。42年前にマッカイ牧師が淡水に上陸した日でもあり、のちに本校の創立記念日となる。4月1日、淡水中学校が牛津学堂で開校、偕叡廉が初代校長。
1923
同志社大学から帰った陳清忠が台湾初のラグビーチームを創部。
1925
淡水中学の新校舎「八角塔」が竣工。6月1日に生徒が移り、今日に至る。
1932
英艦カンバーランド来訪。台湾人だけのチームが英国側に勝ち、赤と黄の縞のジャージが初登場。
1947
純徳女子バスケットボール部創部。以後十余年、東南アジアを制す。
1956
10月6日、男子校と女子校が正式に合併して「私立淡江中学」となり、陳泗治が合併後の初代校長。
1968
校友会が第一回清忠杯を開催。以来毎年。
1980
5月、「私立淡江高級中学」と称し、現在に至る。
2018
人文社会クラス開設。「思いやり」の視野のもと、地域に根ざし、世界を見る。
百五十年を五つの章に
マッカイ博士が淡水の借家で生徒を集めたところから、今日の淡江中学まで。校史館は五章に分けて書いています。ここには各章の冒頭を。

第1章
牛津学堂と淡水女学堂
マッケイ博士は台湾での宣教にあたり、気候への適応、言語と文化、社会環境、経済的条件を考慮して、特に現地の幹部人材の養成を重んじ…
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第2章
淡水女学校と淡水中学校の創設
1893年、マッカイ博士は二度目の帰国をした。翌年、日清戦争が起こり、敗れた清国は下関条約により台湾を日本に割譲した。
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第3章
淡水中学と淡水女学院
淡水中学校は開校以来、校舎として牛津学堂(オックスフォード・カレッジ)を使い続けてきたが、この建物は規模が限られており…
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第4章
淡水中学校と淡水高等女学校
1937年1月、立川義男が校長代理を務めてから二か月後、台南一中で教鞭を執り教頭(教務主任)を務めた有坂一世が、今川淵の招きにより淡水へ赴き…
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第5章
愛と奉仕の淡江中学
日本の敗戦・降伏後、台湾長老教会北部大会はただちに理事会を組織し、接収の準備を進めた。
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どこから来たか

マッカイ博士をたずねて
マッカイ博士は淡水が通商港となった時期に淡水へ来て、この地を家とし、また台湾における宣教・医療・教育の拠点とした。
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学校の象徴
校章は、創立時の校長ジョージ・ウィリアム・マッカイ(偕叡廉)が1914年4月1日に自ら設計し定めたものである。
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淡江中学校史館より。
キャンパス
赤レンガの回廊、古木、グラウンド。




淡江中学 校史館
マッカイ博士、学校の象徴、5章の校史、写真アーカイブ。中国語。


